試行過程
sofu
会議
目を覚ましてから五時間後、外は明るくなっていた。頭が重い気がしたから、服とかドアの音を聴いて、つま先から膝の辺りが教えるほうへ歩いてみる。十五歳、二十歳、二十五歳、三十歳、いろんな人がいるけれど、たくさん横を過ぎるけど、膝の声ばかり意識していて、人だと気づかなかったかも。分かれ道を見つけたら、そこに辿り着く前に、ゆったりハイスピード会議タイム。
「まっすぐ歩くだけでいい」「そっちはこの前も行った」「まっすぐ歩くだけにしても、ほんとは三十七センチくらい、右にずれなきゃいけないよ」「車のナンバーにしたがえ」「どんな計算式がいい?」
最終的な結論は、けっきょく膝が決めるのだけど。
記憶
何を書こうとしたか忘れた。順を追って思い出してみる。
音楽を聴いた。ゴミを捨てに行った。どの本を読むか考えた。ずっと前に買ったが未読の本が目に入った。それを買った頃の自分を思い出した。
二十一時、帰りの電車。外も心も暗かったから、アマゾンの「あとで買う」リストを見て、せめて心のほうはワクワクさせようとした。イヤホンとかCDの中に黄色い表紙の本が混じってた。クラスのムードメーカーで美大志望のやつが教えてくれた、不思議な構成をした小説。
そう、「それぞれの章が一つの短編みたいになってるから、サクッと読めるよ」と言われて、買ったら五百ページあったのだった。読むのをやめた。次に目を引いたのは、数学の本。「中学、高校、大学の数学教師の皆さん、この本にまとめられたエッセンスが生徒にしっかり伝わるように数学を教えましょう!」という内容。いわゆる、教師のための教科書。出版されたのは半世紀前だからボロボロだったけど、別に長く語り継がれる名著というわけでもなさそうだった。底には「◯◯短大」、後ろから開くと「××市立図書館」、表紙には「△△高校」の印やシールが確認できるが、その全てから除籍されたらしく、流れ着いた書店によりアマゾン川へ放流され、それを定価の三割くらいで回収したのが自分。第一章は数学でもなんでもなく、コンピュータの仕組み解説から始まる。また放流してやろうか。
放流……そうだ、街の伝統行事で、小中学生がつくった手のひらサイズのシンボルを川に流したり、そこから見える収穫祭記念の馬鹿でかい花火のこと、そういう話を書こうと思ったのだ。それで、大人になった主人公はその頃のことをすっかり忘れている、そんな冒頭をイメージしているうちに、自分まで物語を忘れてしまっていたみたいだ。感情移入とは恐ろしいもので、架空世界の創作というのは一種の旅行のようなものにだってなりうる。物語の主人公が何かを忘れるとき、その何かを、作者もほとんど忘れているのだ。キャラクターの思考を自分の中でシミュレートしているつもりだったのに、ついそれが自分そのものの思考に取って代わってしまうわけだ。
で、何を書こうとしたか忘れた。順を追って思い出してみる。
以下略……。