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故障した歯車

水水

大甲橋の真ん中からから街の方に目を向けると、百貨店やビルが広い道路の両脇に立ち並んでいるのが見える。路面電車がその間をゴロゴロ鳴らしながら走って行く。この熊本市という地方都市の景色が、武藤のお気に入りだった。武藤は東京で一人暮らしをする大学二年生であるが、自分を高校生まで育んだこのに彼が帰ってきたのは、彼の二十歳の誕生日、五月三日を友人や家族と祝うためだった。今、彼が誕生日前日の二十一時半に、市内を流れる一級河川、白川に架かるこの橋を街の方面に向かって歩いているのは、誕生日を迎える瞬間を熊本の大学にいる高校時代の友人二人と祝うためである。熊本市では専ら街というのは熊本城下の商店街(、と呼ばれる)や百貨店のある繁華街を指すということを書き添えておく。
橋を渡りきった先にある交差点で信号待ちをしているとその友人の一人、林に後ろから肩を叩かれた。振り返って久闊を叙し――といっても冬休み振りなので半年も経っていないが、親友というのは一ヶ月会わないだけでも一年の別れに相当する寂しさを感じるものである。変わりないかと武藤が問うと林は特に無い、そちらの方こそ何か無いかと答えた。武藤は、特に無いが、これから二十歳になるのが大きな変化だろうと答えた。彼は二十歳になることを大変楽しみにしていた。飲酒や喫煙ができるようになる!それが単調な生活に刺激や、ささやかな幸福を与えてくれるのだろうと信じていた。
百貨店とバス停の横を通り過ぎると、球の形をしたオブジェがある。これが定番の待ち合わせ場所である。そこに武藤と林が着くと、もう一人の友人、志村は既に待っていた。武藤は志村の姿を認めるやいなや駆け寄り、思い切り抱きついた。高校のときから武藤は志村を見かける度にこうしたものだった。
三人はまだ時間があるので下通商店街にあるカラオケで時間を潰すことにした。二十一時四十五分から日付が変わるまでカラオケで遊んだ。歌っている内に武藤は気分が沈んでいくのを感じた。彼が二十歳になるまで時間を浪費してしまったのを段々実感してきたからである。彼も高校生のとき、楽曲を作ってインターネットに投稿することを夢見ていた。実際に作曲ソフトも買った。しかし結局一曲も完成させることは無かった。座ってからする作業が本当に苦手だった。作曲ソフトを開いてもいくつか入力しただけで飽きて止めてしまう。音楽理論を勉強するのも億劫だった。それなのに彼は未だに自分に才能があることを信じていたし、詞はいくつも思いつくのであった。しかし彼はそれを形にすることを夢見ながら、労苦を厭っていた。彼も虎になりそうな程の自己嫌悪と焦燥感を持っていたのである。カラオケで自分の歌を歌えたかもしれない。怠惰でさえなければ!
 カラオケから出ると既に五月三日、誕生日の午前零時を過ぎていた。二十歳おめでとう、と林と志村から言われて武藤は言った。「よし、コンビニに行こう、そして酒と煙草を買おう!」
 コンビニで酒類が入った冷蔵庫を開ける。二十歳未満のアルコール類購入を禁止する張り紙を見て、武藤は自分が二十歳になったことを実感した。アルコール度数三%、五%、九%の酒をそれぞれ一本ずつ買い物かごに入れた。弱い酒を飲んでから、段々強い酒に慣れていこうという考えからである。三本の缶とライターをレジに持って行き、煙草を注文した。昔からパッケージが格好良いと思っていた銘柄を買った。コンビニの前で初めての飲酒と喫煙をすることにした。この時間になると、昼は熊本随一の繁盛を誇る下通であっても人影はまばらで、大体泥酔している大学生の集団かスーツ姿の中年が大声で騒ぎ立てながらフラフラ歩いているくらいだった。こうはなるまいと思いながらまず度数三%のフルーツ味の酒を飲み、それから五%のビールを飲んだ。炭酸が食道を流れ落ちるのを感じたが、味はそれほど美味しいとは感じられず、拍子抜けした。それでもアルコールが身体を温めるのを感じた。武藤は火照った頬を志村の頬にくっつけた。で凸凹した自分の顔の表面を、大福のようにすべすべした志村の頬を通して感じた。「熱いなあ」と志村は言って笑った。武藤も笑いながら、しかしやはり心の中は何故か暗鬱なままだった。そして煙草を一本取り出してみたが、どちらの先端が吸い口なのかも分からず、しばらくネットで調べて、ようやく先が白い方を咥えて、逆側に火を付ければいいと分かった。調べた通りに息を吸いながらライターで火を付ける。「どう?」と林は武藤に尋ねた。武藤は首をかしげながら「別に何も味がしない」と言う。言いながら口から煙が出ていったので、きちんと煙を吸えていることは解った。今度は肺に入れてみると言って、口内に溜めた煙を更に吸ってみたものの、重たい不快感があって、咳き込んだ。多分もう煙草は吸わないなと武藤は言った。それからしばらくの間三人はそれぞれの大学での近況などを話して、さよならを言って帰路に帰った。
武藤が家に帰ると午前一時半を過ぎていて、家族は既に眠っていた。彼はアルコールのもたらす利尿作用によってトイレに駆け込んで用を足したが、そうするともう酔いが醒めてしまったようだった。自分の寝室に戻るとに仰向けになった。そのまましばらく観想に耽っていたけれども、意を決したように起き上がり、机に向かった。そしてルーズリーフを一枚引き出しから取ると、一番上の行に「遺書」と書いた。彼は結局一時間ほどかけて遺書を完成させた。考えなくても言葉は次々出てきた。彼は何か作品を遺すことを意欲し、しかしただ流れていく時間に身を委ねるだけだった。無限に続く歯車の回転の連鎖、しかし自分だけはどの歯車とも噛み合っていないような気分だった。もう全てに対して遅きに失したという感じがあった。もうかつての熱量は自分には無い。多くの詞を生み出す原動力となった高校時代の片思いも、今となっては靄のかかった記憶でしかなかった。このようなことを書いて、シャープペンシルを置いた。
 ふと部屋の隅に目を向けるとそこにはギターの入ったケースがあった。これも作曲しようと思って高校生の時買って、飽き性が祟ってそのままになっていたものだった。武藤はこれを自分の蹉跌の象徴だと見た。これを抱えて死のうと思った。コンビニのレジ袋の中にさっき買った酒の中で一番強い、度数九%のものが飲まずにそのままになっていたことに気付いた。飲んでみたが、これもあまり美味しいとは思えなかった。ぬるくなって了っていたからかも知れない。
 彼はルーズリーフを小さく折り畳むとポケットの中に入れ、ギターケースを背負って、外に出た。慎重にドアを閉め、街の方に歩いて行った。さっき飲んだ酒が効いて頭がひどく重たくなったように感じた。そして彼は再び街を望む大甲橋の上に戻ってきた。下を流れる白川をのぞき込むと、暗い川の流れが月光を反射して、彫刻刀で削ったような光の筋が現れては消えた。水位はそれほど高くなく、ところどころに中州が出来ていた。彼は靴を脱ぎ、その中に折り畳んだルーズリーフを入れた。欄干に手を掛け、乗り越えようと力を入れるも、上手くいかなかった。そこで彼は地面を強く蹴って、鉄棒の前廻りの要領で向こう側へ身を乗り出した。そのまま彼はギターケースと共に白川の水面へと滑り落ちていった。

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