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人間窃盗犯

なまのララ

 初めて君に病名を打ち明けられた時から、僕は宝石が嫌いになった。

 春野(はるの)澄(すみ)という人間の印象を誰に尋ねても、明るいとか優しいみたいな記号的なものが返ってくるだろうし、急に尋ねられたら僕は彼女の幼馴染でありながら、きっと同じようにしか返せないことにある種の悔しさのようなものを感じるのだろう。
 もししばらく考える時間をくれるなら何ページにも渡って彼女の魅力を書き連ねることができる、と言ったらさすがの澄も気持ち悪がるだろうか。それでも澄は、少なくとも僕の中の澄は、照れくさそうに笑ってそれとなくなだめるに留めるように思う。要するに、彼女の優しさとはそういった類いの、棘のない優しさだった。

 僕は澄のことが好きだったけれど、澄とこれ以上どうこうなりたいという欲はこれっぽっちもなかった。もしかすると自覚がないだけで、恋仲に進展させる勇気がないことの言い訳だったのかもしれない。だけど実際、僕は誰から見ても素晴らしい人格者である澄の幼馴染という一つのトクベツになれていることを誇りに思っていた。これを言うと対等でないような気がするから、面と向かって言ったことはないのだけど。

 小学四年の八月八日、僕は春野家にプール施設に連れて行かれた。このような表現になるのは、僕が小学生にしてすでに出不精気味で、加えて家には買ったばかりでやりたいざかりのゲームがあったから、正直気乗りしていなかったからだ。とはいえ石川家と春野家はなにかと関わる機会も多いし、可愛げのないやつだと思われるのは嫌だったので、渋々ついていった。
 僕はそこで迷子になった。小学四年生というのはなんとも絶妙な時期で、小学生を二分割したら上級生だし、迷子を迷子と認めるのにもプライドが邪魔していたらしく、僕はなにを待つでもなくただキョロキョロしながら人混みで平静を装っていた。
 結論から言えばそこで僕を見つけてくれたのが澄だから好きになったのだろう。なにか劇的なきっかけがあるとすればそれぐらいしか思いつかない。しかし、見つけたのが例えば澄の三個上の姉だったとして、それを好きになったかといえばそうではないのだから、初めてここで恋心を自覚した、といったほうが適切なのだろう。

 彼女は僕を見つけると「人多いね〜」とケラケラ笑った。僕は自分がこの歳になって迷子になったのだと自覚させられることなく、プライドを傷つけられることなく、彼女と合流することができた。同い年で僕と同じだけ幼かったはずの彼女がどこまで考えてその第一声を発したのかは定かではないが、僕はそこで覚えた安心感を今もずっと恋心に練り混ぜて大事に握りしめている。

 僕らは同じ中学、高校を進み、この春から同じ大学に進学することになった。学部は違ったが、同じキャンパスで大学生活を送れることを僕は喜んだ。合格発表の日、いつまでもウェブサイトの合否紹介を押せないでいる僕を、澄はずっと見守ってくれていた。

 合格発表の翌日、澄は僕を家に呼んだ。昔はよくお互いの部屋に行ったりしていたが、高校に入ってからはなんとなく避けるようにしていた。けどこの日は、彼女が電話でやけに真剣に頼んできたものだから、僕は久しぶりに澄の部屋に足を踏み入れることになった。
 部屋には昔からある机とベッドに、可愛らしい人形たちが退屈そうに寝転がっていた。ひときわ大きいクマのやつなんかは、多分僕と澄のもう一人の幼馴染だって言えるぐらいの古株だ。
 来客用の座椅子とローテーブルに向かい合って座り、きたる高校の卒業式の話などを軽くした後、彼女はおもむろに書類を広げた。

 それは春野澄の身体に関わる診断書で、僕はそれらの文字列が視界に次々と強引に入ってくる感覚が嫌だった。ここ数日の彼女の不調とそれの辻褄が合ってくる感覚が、僕の肌身にゆっくりと刃物で線をなぞった。

「――宝石病って、聞いたことある、よね」

 2030年から流行した石化症候群の一種で、その特異性ゆえにそれは今や知らない人はいないほどにまで知名度を獲得した、原因不明の難病である。
 症状の進行はこうだ。まず体が動かしにくくなり、呼吸も難しくなり、やがて完全に麻痺状態になる。この病気が特異であるのはここからで、完全に固まった体は急速に収縮していき、最後には石ころのようなサイズになってしまう。その見た目が美しい宝石と判別がつかなくなるから、宝石病。
 高度にCG技術の発達した今、実際にその患者の動画が出回ってもなおこれは存在しない架空の病気だというのが陰謀論者の中では決まり文句らしい。

 君は、どんな気持ちで受験に臨んだのか。
 君は、なにを考えて勉強していたのか。
 
 宝石病は発症からおよそ一ヶ月で進行する。なら、君は入学式と数日しか大学生でいられないじゃないか。

 君は昨日、なにを思って、僕の隣で泣きながら喜んでいたんだ。
 この日から僕は、宝石が嫌いになった。



「てんちゃんと、大学生活をおくってみたい」

 最後のお願いなんていうと仰々しいかもしれないけれど、なんて前置きして伝えてきたのがその言葉で、それを聞いたのがもう一ヶ月前になる。てんちゃんというのは僕のことで、僕はそう呼ばれるのがずっとずっと好きだった。中学生の多感な時期にちゃん付けされることを忌避しなかったのは我ながらよくやったと褒めてやりたいぐらいだ。

 正直、澄が僕を幼馴染以上のなにかとして認識していたのかどうかはわからない。それでも、僕は澄の幼馴染として、ひとりの友人として、彼女を尊敬し恋焦がれている者として、彼女の願いを聞き届けようと一ヶ月を過ごした。
 だんだん動かなくなっていく澄を見るのは辛かった。僕を引っ張ってくれた彼女が心身ともに弱っていくのを見るのは辛かった。だけど彼女はずっと僕の前では笑顔だった。一番辛いのは彼女自身のはずなのに。だから僕は、澄のやりたいことを片っ端から叶えようと奔走した。どこまでが彼女に正確に伝わっていたかはわからないが、ともかく僕は責務をまっとうしたのだ。

 入学から数日経ってもキャンパスに桜が依然として降りしきる中、車椅子に乗った彼女に話しかける。

「綺麗だね」

 澄は無言のまま、動かない。
 彼女がほとんど話さなくなってからも、僕は彼女の願いを叶えるために尽力してきたつもりだ。彼女の両親や姉が身の回りの世話をする以外は、僕は極力自然に、これから彼女と四年間をともに過ごす大学生として振る舞った。それが彼女が僕にしてきた、最後のお願いだったからだ。

「て……」

 てんちゃん、だろうか。彼女から言葉にならない音が漏れる。本来ならもう彼女はただ生きているだけで精一杯のはずなんだ。僕にはわかる。彼女は今かなり無理をしているのだと。僕は彼女に身を寄せてそれを掬い上げる。
 続きはなかった。そして、今のが彼女の最後であるのだと、なんとなく感じた。なんとなく、というのは十数年という月日をともにしたおごりなのかもしれないが、その経験に裏打ちされた本能的直感は嘘じゃないと、僕は思う。

 彼女の手に触れてみる。人の温もりは、すでにほとんど残っていなかった。
 その時、彼女の手は硬いまま、風船みたいにしぼみ始めたから、僕は一瞬びっくりして離してしまって、それから彼女を包むように抱きしめる。

 一度、澄と最後の瞬間のことについて話したことがある。彼女は僕と同じ景色を見たまま宝石になりたいと願った。僕は最後ぐらい家族と過ごしたらどうか、と提案したが、柄にもなく彼女は強情だった。僕はここにきても臆病者らしく、理由を聞くことさえしなかった。もしかすると満足していたのかもしれない。平凡な僕が春野澄にとって家族と同等かそれ以上の存在になれていたことに。

 急激に体積を減らしていった澄はやがて、手のひらの中心にこじんまりと丸まっていた。
 彼女が罹患してから、テレビ報道やネットニュースで映るたびに、この病気に宝石病などと名付けたロマンチスト気取りのクソッタレは死んでしまえなどと思っていたが、いざ体感してみると、確かに僕がその立場だったらそう名付けているだろうなと思う。透き通るダイヤモンドみたいに美しい宝石となった澄は、僕の手の上で桜の色を淡く反射して輝いていた。
 ずいぶん小さくなってしまった君を見て、僕はここにきて急に喉を締め付けていた蓋が外れたような気がした。

「……ぁ。あー、あー……」

 なんだっけ。
 色々と思うことはある。でもそんなごちゃごちゃとか一切とっぱらったら、もっと単純な形のものなんだ。僕が君に伝えたくて、伝えられなかったことなんてひとつだけだ。

「好きだよ、澄」

 一ヶ月あって、たったこれだけの一言が、僕は一度も言えなかった。
 フラれるのは、怖かった。だけどそれ以上に、残り一ヶ月を、最後の一日を、僕と過ごしてくれると言ってくれた澄が僕に感じていてくれた親愛のようなものが恋愛感情であるかどうかを確かめるのも、もし違うならそれが同情で上塗りされてしまうかもしれないことが、ひたすらに怖かった。僕は僕の言い訳がましいこんなところが、誰よりも嫌いだった。

 僕はどうしようもなく、手に乗せた彼女を見つめたまま呆然と立ち尽くした。誰も乗っていない車椅子のそばで、花吹雪に身を任せながら片手を見つめる僕は、事情を知らない人間から見れば自分に酔ってる痛々しい奴のように映っているだろうか。違う意味で僕は世界一痛々しいさ。最愛の人をたった今、最も美しいむごい道を通って失ったのだから、全身が痛々しいほどに傷だらけだ。

 僕はこの時、そんなくだらないことを考えずに彼女を丁寧に包んでさっさと家まで帰るべきだったのだ。
 後ろから薬臭いハンカチを当てられた僕はそれを思い切り吸い込んでしまって、そこで記憶は一旦途切れている。



 次に目を覚ました時、影の向きが反対になっていた。正午まえにここに来たから、だいたい二時間ほど経っているのだろう。
 正確に時間を確認する余裕がなかったのは、明らかに毒物を嗅がされて気絶されたという非日常的な経験をしたことがひとつ。もうひとつ、これが大きな理由だが――宝石になった澄がいなくなっていた。

「澄! 澄ぃ!」

 君が返事をしないことはわかっていたけど、僕は君だけは失くしちゃいけなかったから。出し慣れていない大声を出して喉が痛い。変な薬を吸わされたせいもあるのかもしれない。

 ここは大学の構内の中でおそらく最も人通りが少ない。だから僕は、澄の車椅子を押してここの桜を見に来ていたのだ。
 その花びらをかき分けて澄を探す。乾いた土が、花びらだの雑草だのをくっつけて僕の手と膝を汚す。かまいやしない。それで君が帰ってくるなら僕は喜んで汚泥の底なし沼だって泳いでいける。

 やがて僕は一つの可能性に思い当たり、自分の持ち物を確認する。ネット通販で買った安物の財布を開く。千円札が一枚と二百二十三円。学生証とデビットカードとコンビニのレシートが二枚、それから家の鍵。貴重品はひとつも取られていない。僕の所有する貴重品はひとつも、取られていない。

 僕は周囲を見渡す。僕の足跡と車椅子でできた線が花びらの上に乗っかっていて、その先に今僕が立っている場所がある。たった今僕が掻き散らしたところだ。
 そしてそこからもうひとつ、僕は新入生だからうろ覚えなのだが、古い建物―― 確か部室棟だった気がする――に向けて足跡が花びらの上を通過していた。
 要するに、犯人は――春野澄を狙っていた、ということだろうか。僕は足跡を追いながらそんなことを考える。思考は未だうまくまとまらず、まとまりきる前に一歩、また一歩と足が自立した生命体みたいに進んでいく。

 やがて足跡はガラス戸にたどり着き、校舎に入る。文字通り土のへこみであった足跡の代わりに、ご丁寧に花くずと土が撒かれた廊下をなぞる。僕は花びらに招かれてついた先の教室のドアを、ノックもせずに押し開ける。
 中には四人の生徒がいた。彼らは不躾にドアを開いた見知らぬ存在である僕にびっくりしたように固まった。彼らを無視して澄の名を叫ぼうとした直前で、そのうちの一人が先に口を開いた。

「あっごめん、入部希望の子?」

 僕は思わず出かかった叫びを飲み込んでしまって、行き場のない発声を代用するように「はい?」と聞き返した。

「イシケンの」

 イシケン? と聞くより早く僕はそれを理解した。確か新入生向け冊子の中にそんなものがあったような気がするし、何より目の前の光景を見ればいやでもわからされる。
 彼らはそれぞれ石を持ち寄っていて、大事そうに透明なそれらを愛でていた。
 石研究同好会。通称イシケン。

 「春野澄を取り返しに来た」と言うのはひとまずやめた。

 僕は、この中から犯人を探さなければならなくなったからだ。

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