5分前
藤乃由木
2023年4月2日の午前11時、都内にある桜が咲き誇る通りを人が一人、俯いて歩いていた。その人物の名前は、速水薫。薫は、この通りの先にある大学に向かっていた。
薫は緊張していた。人見知りだったからだ。薫は、この後、所属しようと思っているオカルトサークルの新歓に向かっていた。
周りの人々が白く見えるほど俯いて歩き続けていた薫は、ようやく大学に到着した。講義棟の中に入り、その二階にある一室を薫はノックする。はーい、という男性の低い声がして扉が開く。中から出てきたのは、背が高く筋肉質な男性だった。
「こんにちは。SNSで入部をしたいと連絡した宮田薫です。」
「あの…女性の入部希望者は18時にファミレスに集合って伝えたんだけど…」
「すみません。僕、男です。」
「嘘だろ。じゃあ、なんで女性ものの服を着てるの?しかも、髪もツインテールだし。」
「母と姉の趣味なんです。なんか、僕が女性に容姿が近いからって僕に女の子の服を着せたいらしくて…しかも僕、服とか買ったことないので男性用の服の選び方なんてわかりませんし…髪の毛も服に合うように伸ばされちゃって。」
「そうなのか。でも、君は19歳? だろう。なのになんでそんなに声が高いんだい?」
「それが僕にもわからなくて…」
「へー…」
2人の間に気まずい空気が流れる。薫は、その場の空気を換えようと、男性に話しかける。
「あのぉ、そういえばあなたのお名前は…」
「ああ、まだ言ってなかったな。俺は西谷健也。このサークルのサークル長をやっている。ほかのやつらはー、まあいいだろう。後々紹介することになると思うから。」
そう言って、健也は部屋にいた他の男たちを見る。だが、初対面の健也との会話に緊張していた薫には、部屋にいた人々は黒い影のようにしか見えなかった。
「というか、男子の集合時間も16時だぞ。」
「え!うそ…早くついてた…」
「しょうがねーなー。OK。俺が活動場所を案内してやるよ。」
「ありがとうございます。」
薫は健也と大学の正門の外に出ていた。オカルトサークルの活動場所は、主に大学外であるためだった。だが、薫は1人で歩いているときと同じように俯いていた。大学通りは、他の通りに比べて大きいため、彼は他人の目をより気にしてしまうのだった。
「すみません。そこのあなた。」
ふたりが歩き出そうとしたとき、ある女性に声をかけられた。2人が声のしたほうを振り向いたとき、彼らは仰天した。その女性は、薫より少し年上に見えるが、女優のような美貌でモデルのようなスタイルで、優しい目をした、明らかに周りの他の人物と異なるオーラを放った人物であったからだ。
「ど、ど、どうされたのでしょうか?」
健也は、その女性のオーラに押されて動揺し、普段の荒々しい言い方とは異なり、とても丁寧な物言いになっていた。だが、その女性は、健也のことなど眼中にないように、ただまっすぐに薫を見つめ、
「あなた、今お時間ありますか?もしよければ、私とお茶でもしませんか?」
と言う。所謂、逆ナンというやつだ。
ただ、当の指名された薫本人は、逆ナンなど初めてのことで、どのように対処すればよいかわからず、ただ立ち尽くしていただけだった。
そんな薫の様子を見て、彼の背中を押したのは健也だった。健也は、その女性に無視されて残念がっていたが、女性の目的が薫であることが分かると、
「ああ、大丈夫です。こいつとはここで別れる予定でしたから。」
そう言うと、健也は薫にのみ聞こえるほど小さな声で
「18:30にはファミレスに来いよ。」
と言って2人から離れた。
「ねえねえ、何が飲みたいの?お姉さんがおごってあげるよ。」
健也と別れたあと、2人は大学の近くにあるカフェに入った。
「いえ…いやあ…その…別に…」
「いいのいいの、遠慮しないで。あっ、私、このカフェラテにしようかな。」
「あっ、えっと…じゃあ、僕も同じので。」
薫がそういうと、女性は店員を呼んで注文をする。
注文が終わると、その女性は薫に、彼自身のことについて質問をする。
「ねえねえ、君、名前は?」
「速水薫です。」
「薫君は、大学生?もしかしてそこの国橋大学?」
「はい、そうです。」
「すごい、頭いいんだね!学部はどこ?」
「文学部です。」
「じゃあ、もしかして、将来の夢は小説家だったりして。」
などと何気ない会話をしていると、店員がカフェラテを2つ運んでくる。だが、会話に集中していた薫には店員の姿がよくわからなく、運んできたことにも気づかなかった。
「薫君、飲み物来たよ。」
女性はそう言って、薫に飲み物を渡してくれた。薫は、ありがとうございます、と言ってカフェラテを飲む。そして、女性もまた、カフェラテを数口飲んだ。
女性がカップを置き、薫を見つめる。その時、薫は、女性の目が先ほどの優しい感じとは打って変わって、少々厳しい目つきになっているように感じた。
薫が女性の些細な変化を感じたとき、女性は新しい話題で話を始めた。
「ねえねえ、薫君。世界は本当の昔から存在していると思う?」
「えっと…どういうことですか?」
「もし、神様によってこの世界は5分前に誕生した…そのことを知ったとき薫君はどうする。」
「バートランド・ラッセルの世界五分前仮説のことですか?」
「そうそう、それそれ。でも、なんでこの仮説は”五分前”なんだろうね。1時間前でも1日前でもいいはずなのに。まあ、それでもこの説を否定することは難しいんだけどね。でも、否定することは試みても、なんで肯定するという試みはしないんだろうね。」
薫は状況が読み込めなかった。急に、女性が神様と言い始めたとき、彼は宗教勧誘に巻き込まれたのかと思ったが、どんどん話題が哲学的な内容にそれていったからだ。なので、薫は、勇気を振り絞って、
「あの…宗教の勧誘か何かでしょうか?」
と女性に聞いた。
女性は、
「全然、そんなんじゃないよ! まあ、確かに創造主には会ったことあるけど。でも私、ニーチェのことを尊敬してるから。あと、ほら、これ見て。」
そう言って、女性はスマホを薫に見せてきた。その画面には、とあるSNSのブロックしたアカウントの一覧が映っていたが、その中には、多くの宗教の公式アカウントの名前があった。
この女性は、宗教勧誘をするために声をかけたのではないというのは、かなり信用できるだろう、と薫は考えた。だけれども、その女性に対する不信感が拭えたわけではなかった。
なぜなら、その女性は、出会って1時間もしない人物に対し、その人に哲学が好きかどうかを確認することなしに、自分の好きなように語っていたからだ。
さすがにこの人と一緒にはいられない。そう考えた薫は、
「すみません。用事を思い出したので帰らせていただきます。」
と言うと、女性の返答も聞かずにカフェから出て行ってしまった。
幸い、女性は薫の後を追ってこなかった。
集合時間までは少し時間があったので、薫は本屋を見て時間をつぶした後、集合場所へと向かった。集合場所のファミレスの目の前には、男女合わせて十数人がいた。その中の1人、西谷健也が薫の存在に気付くと、手を振って薫を呼び寄せた。
「お疲れ。で、あの女性とはどうだった?」
健也はいきなりその話題を薫に投げかける。
「残念ながら、あの女性、確かに背格好とかは美しかったんですけど、少しおかしな方でして。」
「おかしいって、どんなところが?」
という健也からの質問に薫が答えようとしたとき、
「すみませーん。遅れましたー。」
という女性の声がした。
店の前にいた人々が、声のしたほうに目をやると、とある女性が走ってやってくるのが見えた。
その女性の姿を見て、薫と健也は驚いた。なぜなら、その女性は昼に薫をお茶に誘った人物だったからである。
その懇親会は、普通のものとほとんど変わり映えは無かった。参加者は、自分のプロフィールを語ったり、趣味が近いことが分かった人同士で各々話し合っていたりした。かくいう薫は、軽い自己紹介を済ませた後は、ただ料理を食べることだけに集中していた。そんな彼にとって、幸運なことなのだろうか、人数の関係でいくつかのテーブルに分かれたため、昼に話をした女性とは別のテーブルであった。
ほとんどの人が料理を食べ終わり、会計が終わって店前に出たとき、健也が皆に向かって、
「これからホテルに向かいまーす。」
といった。その発言に薫は驚いた。なぜなら、そんな話を一度も聞いたことがなかったからだ。
「ちょっと、ホテルに行くって聞いていないのですけど。というか、泊まるための服とかも持ってきていませんし。」
そのように薫が言及すると、健也は、
「いやいや、今から俺らが行くところはビジホじゃなくてラブホ。というか、まさか、このサークルがまっとうなオカルトサークルだと思って入部しようとしたの?プロフィールとかから察してよ。他の人たちは、この流れを分かって来てるんだからね。」
と言い放った。
オカルトサークル一行はホテル目の前に到着した。結局、断るのが苦手な薫は彼らについてきてしまった。
「それじゃあ、一緒に部屋に入るペアを作りたいと思いまーす。じゃあ、女の子に男子を1人ずつ指名してもらおうかな。じゃあ、まずはそこの彼女。」
と言って健也が指さしたのは、昼間の女性であった。
あんな変な女性がなんでこんなヤリサーに入ってるんだ、いや頭がおかしいからこそこんなサークルに入ってしまうのか、などと薫が考えていると、その女性は、
「薫君で。」
と、薫のことを指名した。まさか自分が指名されるなんて思ってもいなかった薫は、目を丸くして、呆然と立ち尽くしていたが、
「ほら、指名されたんだから、早く部屋に行きな。」
と、健也に言われ、その女性とともに部屋に向かった。
ラブホテルの一室の鍵を受け取り、部屋の中に入ると、そこはきらびやかな内装であった。同じ価格の一般的なホテルでは考えられないような大きなベッドに、清掃がきちんと行き届いた高級感漂うマットレス、幻想的な照明など、薫が今までに見たことがないほど豪華なものがそこにはあった。
荷物を置いて、部屋に設置されていたソファに2人は腰掛ける。僕はこの人とそういうことをしてしまうのだろうか、などと薫が緊張と不安で動けなくなっていると、その女性が声をかけてくれた。
「私もこのサークルにはこの春に入ったんだけど、でもまさか、ヤリサーだとは私も思ってもいなかったよ。大丈夫、薫君。私、こんな成り行きではやらないって考えているから。」
「そうなんですね。良かったです。僕もこんなことになるとは思ってもみなかったので。」
この場での情事はしない、そう言われたことで薫は、少し平静を取り戻せた。
「そんなこと言って、ほんとはしたかったりして。」
「そ、そ、そんな気持ちは全くないですよ!」
「嘘、嘘。冗談だよ。でも、何もしないのはあれだから、お話でもしましょう。昼間は、途中で逃げられちゃったしね。」
「あー、やっぱりばれてしまってましたか。」
「バレバレだよ、声が少し上ずってたし。」
そう言って、女性は笑う。
「それじゃあ、あなたのことについて聞かせてください。昼間も夜ごはんのときも貴方のことについては何もお話しできませんでしたから。」
「OK!私は、秋田瑞希。東〇大学社会学部の3年生で20歳。薫君は確か1年生だったから、2年お姉ちゃんなのです。そしてそして…」
と、瑞希は彼女のことについてを話し、その後は、効率的な授業の取り方や世間話など、他愛のない会話をしていた。その会話の途中、あることを思い出した薫は瑞希に質問した。
「瑞希さん。どうして、昼に初めて会ったとき、すぐに僕が男だと気づいたんですか?」
「本当は今でも女の子だと思っているかもしれないよ。だって私、薫君のアソコを見ていないからね。」
「えぇ…見せるんですか…」
「見せなくていいよ!じゃあ、逆に聞くけど、なんで薫君は私が君を昼の時点で男だと気づいたんだと考えたんだい?」
「それは、瑞希さんが僕のこと”薫君”って呼んだからです。普通、”君”は男性にしか使わないじゃないですか。」
「いやあ、分からないよ。ドラ〇もんの出〇来君だって、し〇かちゃんのことを”し〇か君”って呼んでるじゃない。」
「でもあれは、気心の知れた仲でしか成立しないじゃないですか。初対面の人には使わないでしょう。」
「それもそうだね。実のことを言うと、私、レズビアンなんだ。」
「えっ…」
瑞希から予想外の話が来て、薫は返答に困ってしまった。
「大丈夫、大丈夫。そんな重く受け止めなくても。まあ、ただこういう性格だから一目見ただけで相手の身体の性については分かっちゃうんだよね。」
「素晴らしい特技ですね。」
「本当にそう思ってるのー?だってこの特技、使う場所ほとんどないよ。しかも、本物の男の娘を見たの初めてだし。」
「男の娘ってそれ、ぼくのことですか!」
その後も、2人の他愛無い会話は夜が明けるまで続いた。
次の日の早朝、オカルトサークル一行はチェックアウトをしてホテルの前に集まった。幸い、そのホテルの各部屋は防音仕様になっていたため、他のサークル員の様子からしても、薫と瑞希が情事を行っていなかったことは、誰にも気づかれなかった。その日は、流れで解散した。
懇親会から2日が経った。あの後、薫は一度もオカルトサークルに行かず、健也からのメールも無視していた。だが、彼は瑞希のことが気がかりだった。あの日、瑞希とは連絡先を交換した。しかし、彼女があのサークルに行くことに僕は口出しできない、そういうように薫は考えてしまい、そのことについて瑞希に聞くことができなかった。
その日、瑞希から連絡があった。だが、その内容は、いままでと異なっていた。
『今日の夜、時間があればこのお店に行かない?』
という文章が、お店の位置情報とともに送られてきた。ちょうど今日は、薫は特段の用事がなかったため、
『いいですね。行きましょう。』
と返信した。
4月4日の18時。薫は都内にあるおしゃれな外装の居酒屋の前にいた。けれども、薫は緊張していた。よく考えたらこれはデートなのではないだろうか、瑞希さんは僕に気がないと言っていたけどはたから見れば僕たちはカップルの様ではないか、などと思ってしまったためであった。
薫がその場で10分少々待っていると、ごめーん、と言いながら瑞希が走ってきた。
「前の懇親会のときと今日で何となくわかったんですけど、もしかして瑞希さん、遅刻癖ありません。」
「ごめん、今度からは時間通り来るから。」
「いえ、責めているわけではないんですけど…それより、お店に入りましょう。」
そうして2人は入店した。その居酒屋の店内は、普通のものとは異なり、全ての席が個室となっていたため、薫が思っていたよりも静かだった。
2人は店員に案内され、席についた。2人はメニューを見て、ちょっとした料理をいくつかと、薫はウーロン茶を、瑞希はビールとおつまみの枝豆を注文した。
その食事は夜遅くになるまでになるまで続いていた。2人で飲み物を飲んだり料理を食べながら2人だけで他愛のない会話をする。そのようなことをしたことがなかった薫であったが、その食事はとても楽しいものになった。
夜の11時になり、終電の時間も近くなってきたため、薫は瑞希にそのことを伝え、お金を出してテーブルに置き、個室を出ようとする。
だが、帰ろうとした薫の腕を瑞希はつかんで離そうとしなかった。どうしたんですか、と薫が尋ねようとしたその時、エマージェンシーコール、エマージェンシーコール、という大きな機械音声が部屋中に鳴り響いた。その音に薫は驚き、音のする方へ目をやる。その音源は、瑞希のスマホであった。
何事ですか、と瑞希に尋ねようとしたが、当の瑞希本人は、何も起きていないような涼しい顔をして薫に話しかけた。
「ねえ、薫君。この世界は本当に現実の世界なのだと君は信じる?」
「何の話ですか。それよりも、この音を止めてくださいよ。」
「本当にそう信じてるの?なら、その扉を開けて外を見てみてよ。」
そう言われて、薫はしぶしぶ個室の扉を開ける。開けた先には、廊下とそれを挟んだ向かい側にある個室の扉が見えるだけだった。
何もないじゃないですか、と薫が言おうとしたとき、その廊下を店員が通りかかった。
「その店員を見ても何も君は何も思わないの?店の服を着たただの黒い影を。」
そのように瑞希に言われて、薫はやっと異常な様子に気付いた。その店員は顔のない人型の影のような黒い物体であった。けれども、薫たちに危害を加えてくる様子は何もない。試しに薫は、他の部屋も見てみた。そこにいた客たちの全ては、黒もしくは白の、人の形をした何かであった。
薫は気味が悪くなって瑞希のところへ戻ろうとする。そのとき、個室から瑞希が走って出てきたかと思うと、薫の手を引き外へ連れ出した。外に出ても、瑞希は薫の手を放すことなく強く握り、歩道を東に向かって走り出す。
先ほどまでいた居酒屋から少し離れたところに車が駐車してあった。瑞希は迷うことなくその車の窓ガラスを割ってドアを開け、薫を車内に放り込んでエンジンをかけると、そのまままた東に向かって車を走らせた。
何がどうなっているのか、まったく訳が分からず混乱している薫は、事情を瑞希に聞こうとしたそのとき、車の後方からドーンと何かが爆発したような大きな音がした。
その音のした方に薫が目を向けると、空には多数のUFOが浮かんでいて、そのUFOから光線がはなたれ、人の形をしたようなものをことごとく焼き尽くしていた。
「これは一体どういうこと?なんで、UFOが飛来してきてるの!」
と薫は瑞希に聞いた。だが、彼女は、
「あとで説明する。」
と言うだけであった。
そうこうしている間に、車は東京湾の海沿いについた。
「降りて!」
そのように瑞希が言うと、彼女は薫を車から引きずり降ろす。そのあと、すぐに瑞希は海に近づき、何かカプセルのようなものを海に向かって投げた。すると、カプセルが沈んだ場所から、小型の船が出現した。瑞希は、薫の手を引っ張り、その船の中に入る。
船の中は、普通の小型船と何ら変わりがなかった。瑞希は、船に乗り込んだ後、船の中央部にある操縦室と思しき場所に向かい、機械を動かした。状況を呑み込めていない薫は、瑞希の姿を見つめ、ぼおっと立ち尽くしていることしかできなかった。
瑞希が機械を動かし始めて1分もたたないうちに、船が大きな音をあげて動き出した。2人を乗せた船は東に進路を取って、普通の船では考えられないような速度まで加速して海上を走っていった。
甲板から日本の海岸が見えなくなるまで船が進んだとき、ひと段落したのだろうか、瑞希が操縦の機械を動かすのをやめて、薫の方に来た。
「ここまでくれば、自動運転に切り替えても問題ないでしょ。」
そのように言う瑞希に対し、何も理解できていなかった薫は、質問攻めをした、
「瑞希さん、あのUFOは何なんですか! なんで攻撃をしてきたんですか!というより、そもそもまず、この世界は何なんですか! なんで人々は、あんな影のようになっているんですか!それと、…」
「薫君、いったん落ち着こう。ごめんね、答えなきゃいけないことはいっぱいあるんだけど、今は1つしか答えられない。それはね、私たちの目的地がエリア51であるということだよ。知っているでしょう、エリア51。」
エリア51とは、アメリカ合衆国ネバダ州レイチェルに存在するアメリカ空軍の基地の一つである。周囲でUFOのようなものが多数確認されているため、アメリカ軍が宇宙人の研究を極秘で行っているという陰謀論が非常に有名である。そのことは、薫も知っていた。なので、エリア51に向かうということは、先ほどのUFOの情報が得られる、と薫は考えた。
エリア51への道のりは、特段何も起きない平穏なものであった。アメリカの西海岸に船が到着した後は、近くにあった車に乗り込み、荒野を駆け抜けてエリア51に2人はついた。
エリア51には、滑走路と空軍の施設と思しき建物があった。瑞希は、その施設の中でも一番大きな建物に入っていき、薫もそれに続いた。その中には様々な機械があった。だが、瑞希はそれらには目もくれず、とある場所まで黙って歩いていく。
2人が歩き続けていると、何もない場所で瑞希が止まった。何があったのだろうか、と薫が見ていると、瑞希は床に手を当てた。そのとき、承認、という機械音が聞こえたかと思うと、大きな音を立てて床の一部が開いた。
開いた先には階段があった。瑞希は迷わずその階段を下りて行ったので、薫も後に続いて降りて行った。
降りて行った先には、部屋の扉があった。その扉の取っ手を瑞希はつかんで横に力いっぱい開いた。
扉の先には円形の部屋があった。そして、その部屋の中央には液体に浸かった、脳が入ったカプセル型の機械があった。
ひっ、と気味が悪い物を見て薫が怯えていると、瑞希がその部屋の中に入っていったため、躊躇しながらも薫も入っていった。瑞希はカプセルの前で立ち止まると、薫に話しかけた。
「ここまできたら、本当のことを話してもいいかな。どこから話そうかなー。まあ、まずはこの世界のことについてからかな。この世界は、まあ何となく予想ができてるかもしれないけれど、電脳世界なの。でもね、普通に考える電脳世界とはちょっと異なっているんだ。実はね、ここはある人物の脳の中なの。その人物っていうのが、速水薫、そう、この世界は薫君の脳内なんだ。脳というものは、機械で再現できないほど精密ですぐれたコンピュータみたいなものだから、機械を作るよりも電脳世界を再現しやすかったんだ。だけどね、その技術は未完成だったんだ。本当は、君の脳内に世界を作った後に、様々な情報を伝達することで世界を作り上げようとした。けれども、それはとある理由で頓挫してしまった。だから、この世界に存在しているのは君が現実の世界で生きているときに知った物やイメージで構成されているの。一例を挙げるならば、あの影の人々だね。本当だったら、人というものはきちんと顔があって、身長とか体系とかも個人差があるものなんだよね。だけど、君は世界中の全ての人物の特徴を把握している訳ではない。だから、”人の形をした何か”として人々が表現されていたんだよ。まあ、信じろと言っても難しい話ではあるんだけどね」
「いえ、いままでの出来事からして、どんなに信じられない話でも、信じるしかないと思えてきます。それで、疑問なんですけど、なんでこんな世界が作られることになったのですか。やっぱり、あのUFOが関係してるんですか?」
「いや、実際、この研究自体はかなり昔から、アメリカ政府主導で進められていたんだ。まあ、あのUFO達は、その研究を早めたもの、そういう風に言えるね。この世界が、できた2023年4月2日の午前11時、この世界で君が目覚めたときだね、現実の世界のその日のその時刻、宇宙ではとある星が超新星爆発を起こしたんだ。でも、その爆発の威力が予想よりもはるかに大きすぎた。それは、この地球が含まれる天の川銀河の大半を巻き込むものだったんだ。幸い、地球は銀河の端の方にあったということで、爆発には巻き込まれなかったんだけど、別の問題が起きたんだ。巻き込まれた星から逃げてきた宇宙人が飛来してきたんだ。しかも、その宇宙人たちは私たち地球人よりも優れた科学技術を持ち、そして、地球を侵略しようと目論んでいた。人類は抵抗したさ。だけれど、かなうはずもなかった。やつらは人々を虐殺していった。その後、アメリカ政府はかろうじて生き延びた人たちのために、最先端の科学技術を置いていたエリア51を開放したんだ。
生き延びた人々が、エリア51でその後の対策を考えていたとき、衝撃の事実が分かった。それは、地球は爆発には巻き込まれなかったものの、その爆発で発生した大量の放射線がやがて降り注ぐというものだった。つまり、たとえ宇宙人を撃退したとしても、放射線によって以前ような生活は取り戻せなくなってしまった。ならば、ということで、お偉いさんたちは、さっき言った爆発が起きる寸前の世界を再現した電脳世界を作り出すことを決め、そのベースとなる脳に薫君が選ばれたということなんだよ。」
「そうだったんですね…では、瑞希さん、あなたは一体何者なんですか。」
「私?私はね、お偉いさんたちに選ばれた、というか頼み込んで選んでもらった、この世界に来た人類一号さ。まあ、本来の経歴で言うと、ただの大学生なんだけどね。本当であれば、こっちの世界の様子とかを現実世界に伝えるという任務があったんだけれども…それも叶わなくなっちゃったんだ。」
「どうしてですか?」
「通信相手の人から連絡が入ったの。私たちの居場所と計画がばれてしまったって。その通信相手は、西谷健也君だったんだけどね…まあ、彼のことは今は置いておくとしようか。そう、それで、エリア51に宇宙人が責めてくることになったんだけど、人々全員をこちらの世界に送り出す手段が確立できていない、ならばこの技術が宇宙人どもの手に渡る前に無くしてしまおう、そういう理由でこの世界の破壊を命じてきたんだ。」
「なぜ、瑞希さんがその役割を果たさないといけないんですか!外部からでも破壊できたでしょうに。」
「それだけ彼らに余裕がなかったということよ。電話口でもわかるくらい切迫した状況だったからね。
そして、予想よりも早くやつらがこの世界にもやって来た。幸いなことに、この世界に来たものはこの世界虹来たものは、はじめは南極大陸からスタートするから、逃げる時間が稼げたんだけどね。」
「じゃあ、あの船は…」
「お偉いさんたちが活動に使うために持たせてくれたものよ。あれとスマホくらいしかくれなかったけど。」
そう言って、瑞希はカプセルとスマホを薫に見せる。すると、スマホからまた、エマージェンシーコール、という音声が鳴り響いた。瑞希は慌ててスマホを見る。そして、彼女は薫に向かって言った。
「ここに、やつらが近づいてきてるの。お願い、あなたがこの世界を壊して。」
その言葉に、薫はうろたえてしまった。
「どうして、それは瑞希さんの仕事じゃないんですか。」
「残念ながら、内側からこの世界を破壊するためにはあなたの力が必要なの。この世界は、あなたそのものだから。」
「そうなんですね…だから、貴方は僕にあの時声をかけた。僕がいないと、この世界を壊すことができないから。」
「そう、そのとおりよ。だから、お願い。この世界を…」
と瑞希が言いかけたところで、薫が話の途中に浮かんだ疑問を聞いた。
「瑞希さん。あなたは、本当にこの世界を壊したいと思っているのですか?あなたの本心を聞かせてください。」
その言葉を聞くと、瑞希は黙って下を向き、そして涙を流しながら答えた。
「私は、あなたとともにいたい。あなたから離れたくない。ただ、ナンパのために声をかけただけの私を、あなたは命を懸けて救ってくれた。そんなあなたのことが大好きなんだ…でも、私はやつらからあなたを守れない。やつらに捕まったら、私は殺されて、あなたはこの世界を維持するためだけに生かされてしまう。そんなのはいやなんだ。だから、この世界を壊したい。」
その言葉を聞くと、薫はふぅと息をはき、瑞希の体を抱いて口づけをした。
「どうして…」
「分かりました。そして…思い出しました。僕も瑞希さんのことが大好きです。あなたとは絶対に離れたくない。できることなら、あなたの願いを全て聞いてあげたい。だから、壊しましょう。ふたりで、この世界を。」
薫がそう言うと、瑞希は泣きながらも笑みを浮かべて、彼に破壊の手順を教えた。それは、カプセルの横にある機械に薫が手を触れ、彼の生体反応を感知した機械が破壊のためのボタンを出すため、そのボタンを押す、というとても簡単なものだった。
薫は、その機械に手を触れる。すると、瑞希の言ったとおりにボタンが出てきた。
「いきましょう。2人で。」
薫がそういうと、2人は手を握って、反対の手で一緒にそのボタンを押した。
そうして世界は滅亡した。